シチリアワインに多大な貢献をしたディエゴ・プラネタ氏が他界した。その偉大な功績を振り返る。

 シチリアワインの世界的成功の基礎を築いた偉大な先駆者がディエゴ・プラネタ氏である。5世紀、17世代にわたりシチリアで農業の発展に寄与してきたプラネタ男爵家に1920年に生まれた氏は、カターニア農業学校を卒業後、世界を旅して見識を広め、英語、フランス語、スペイン語を完璧に習得する。

 父ヴィート氏とともに一家が所有する農園を近代化する一方、メンフィにある「セッテソリ」の会長を1972年から38年間にわたり務め、創設時には9名の組合員だった小さな生産者協同組合を、栽培農家が2100軒、ブドウ畑6100ヘクタールの巨大組合に成長させる。

 1985年から92年まで「ブドウの樹とワイン州立研究所」の所長を務め、大胆な戦略で低迷していたシチリアワイン飛躍の礎を築いたことも重要だ。80年代半ばのシチリアワインは廉価な白ワインが中心で、イメージはとても低かったが、ディエゴ氏はシチリアの偉大な可能性を信じていた。

 そしてシチリアワインを復活させるために一流のコンサルタントをシチリアに招いた。栽培はブドウ研究の権威アッティリオ・シエンツァ氏(当時サン・ミケーレ・アッラディジェ農業学校教授、後にミラノ大学教授)、ワイン造りは醸造家のジャコモ・タキス氏、市場調査と消費者分析はこのジャンルの先駆けであったジャンパオロ・ファブリス氏といった最先端の専門家をそろえ、シチリアワインの品質向上に取り組んだ。

 この時代に推進されたテロワールの分析、外国品種導入、イメージの向上などの革新的取り組みが1990年年代後半のシチリアワイン・ブームの爆発につながるのである。

 1985年には高品質ワイナリーである「プラネタ」社を創設。外国品種を積極的に導入し、ワイナリーの運営を若い世代に任せた。国際的スタイルでありながらシチリアのテロワールを見事に反映したプラネタのワインは大成功を収め、シチリアワイン・ブームの火付け役となった。

 卓越したアイデアと行動力でシチリアワイン復興を実現したディエゴ氏は、シチリアワイン界最大の功績者として尊敬されていた。

text by Isao MIYAJIMA

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