ブルゴーニュ地方のニュイ・サン・ジョルジュに拠点を置くドメーヌ・フェヴレが今年、創立200年を迎えた。これを記念して、6月20日、ニュイ・サン・ジョルジュの醸造所内に内外のワインジャーナリスト20人を招き、1935年まで遡る試飲会を開催した。また、同日夜、クロ・ヴージョに約300人の関係者を招き、盛大な記念夕食会を開催した。

歴史的な醸造所での特別テイスティング

特別テイスティングが行われたニュイ・サン・ジョルジュの醸造所は、かつて発泡性ワインの熟成庫として使われていた19世紀の建物を改修したもので、2018年に完成。中庭には、彫刻家、オーギュスト・ロダンが制作した『接吻』のブロンズ製オリジナル作品が設置されている。これは、フェヴレ家の一族であるモーリス・フナイユが、ロダンの初期のパトロンの一人で、収集家だった縁によるものだという。醸造所に入ると、高さ11メートル、長さ51メートル、幅9メートルの、エッフェル塔を彷彿とさせる鉄骨構造の建築物の中に32基の木桶が整然と並んでいる。

ドメーヌ・フェヴレは2022年4月から、ニュイ・サン・ジョルジュの醸造所の中庭にオーギュスト・ロダンの『接吻』を設置している(左)
温度コントロールシステムを内蔵した32基の木樽(右)

2階のレセプションルームで開かれた当日の試飲のテーマは「Les Années en Cinq」、すなわち、西暦の末尾が5で終わるヴィンテージの垂直試飲会で『シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ 2015年』から始まり『ラトリシエール・シャンベルタン 2005年』、『マゾワイエール・シャンベルタン 1995年』、『ラトリシエール・シャンベルタン 1985年』と時代を遡り、第二次世界大戦前の『ジュヴレ・シャンベルタン・プルミエ・クリュ・ラ・コンブ・オ・モワンヌ 1935年』に至る興味深いものだった。それぞれのヴィンテージは、フェヴレの歴史における特定の時代、特定の世代、そして特定の醸造哲学を象徴している。

試飲会を主導したのは、現在ドメーヌを運営するエルワン・フェヴレ氏、エルワン氏の妹で共同経営者のエヴ・フェヴレさん、二人の父親で先代のフランソワ・フェヴレ氏、そして、醸造責任者のジェローム・フルー氏。エルワン・フェヴレ氏は挨拶の中で、1825年にネゴシアンとして創業し、当初は靴製造も手掛けていたというエピソードを語り、その後、ワイン造りへとその情熱を注いでいったメゾンの歴史に触れた。

醸造に敷設したレセプションルームで行われた特別試飲会

世代を超えたワインの哲学

2005年のラトリシエール・シャンベルタンは、まだフランソワ・フェヴレ氏の時代の名残があり、若々しく、やや抽出が強いと感じられるワインであった。それに対比するように供された『シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ レ・ズーヴレ・ロダン 2015年』は、エルワンの新しい哲学の集大成で、豊かな赤い果実と、最良の15年産だけが持つ躍動感とエネルギーがある。

『マゾワイエール・シャンベルタン 1995年』と『ラトリシエール・シャンベルタン 1985年』は、それぞれ90年代の力強さと、80年代の熟成したエレガンスが見事な対比を描き出した。次に試飲した『コルトン クロ・デ・コルトン・フェヴレ 1955年』はフェヴレのモノポールで、まさに魂とも言うべき畑。その名は、裁判を経て「フェヴレ」の名を冠することが認められたという歴史を持つ。1955は半世紀以上の熟成を経て、圧倒的な複雑性と力で参加者を魅了した。

『ニュイ・サン・ジョルジュ・プルミエ・クリュ・レ・ポレ・サン・ジョルジュ 1945年』は第二次世界大戦終戦の年に造られた奇跡のヴィンテージ。戦時中は、ワインの酸化防止剤である硫黄が弾薬製造に転用され入手困難だったため、多くのワインが実質的な自然派ワインとして造られたという興味深い背景が語られた。最後に試飲した『ジュヴレ・シャンベルタン・プルミエ・クリュ ・ラ・コンブ・オ・モワンヌ 1935年』は90年の時を経てもなお、まったく疲れを感じさせない素晴らしい構造を持ち、口に含むと熟成の進んだピノ特有の、甘草根やタバコ、ショコラ、スパイシーなニュアンスの中に繊細なピノの味わいがはっきりと感じられる素晴らしいものだった。

ブルゴーニュの複雑な歴史的背景

試飲会の途中、先代のフランソワ・フェヴレ氏が、ブルゴーニュの複雑な歴史の一端を語った。フランソワ・フェヴレ氏によると、1936年のAOC法制定時、「シャルルマーニュ」、「コルトン」、そして「コルトン・シャルルマーニュ」という3つのグラン・クリュが作られたが、これは市場で人気のある「コルトン」、「シャルルマーニュ」に加えて、二つの名前を合わせた「コルトン・シャルルマーニュ」を付け加えればビジネス上上手くいくだろうという、いわば、マーケティング的な側面があったことをユーモアたっぷりに明かした。

さらに氏は、コルトンの丘が三つの村にまたがっている複雑な背景に言及した。つまり、アロース・コルトン村は完全にカトリックの村、ラドワ村は反カトリックの村。ペルナン・ヴェルジュレス村は中立的な村。この宗教的な対立が、グラン・クリュの区画認定にまで影響を与えたという。
「反カトリックだったラドワ村は、AOC制定時に不当な扱いを受けたと感じていた。その埋め合わせとして、後にレ・ロニェのような区画がグラン・クリュとして追加された」
この逸話は、ブルゴーニュのテロワールが、単なる土壌や気候だけでなく、深い歴史や文化、時には宗教的な背景までもが複雑に絡み合って形成されていることを物語っている。

白ワインは、コルトン・シャルルマーニュ、2015年、05年、95年の垂直テイスティングとなった。特に若々しい2015年は、パワフルでありながらも見事な緊張感を備えており、近年のフェヴレが目指すスタイルが明確に表現されていた。一方、95年は熟成による複雑なアロマと深みを湛え、グラン・クリュの白ワインが持つ驚異的な熟成能力を見せつけた。

クロ・ヴージョでの記念夕食会

20日の夜、ブルゴーニュ・ワインの聖地であるクロ・ヴージョで記念夕食会が開かれた。この催しには、世界中からインポーターやジャーナリスト、そしてワイン愛好家ら約300人が招かれ、7世代にわたる家族経営の歴史を称え、未来への新たな一歩を祝福した。

メニューは五つのパートに分かれ、それぞれの料理に2本のワインを組み合わせるという豪華な内容。最初のアミューズは「ブルゴーニュ産ラタフィアのジュレをまとった鶉のトゥルト」。合わせたワインは『ラトリシエール・シャンベルタン 2019年』と『エシェゾー 2009年』。魚料理は「フォンテーヌ産オンブル・シュヴァリエとアルプスの湖のフェラ、香草バターソース」。供されたのは『コルトン・シャルルマーニュ 2018年』と、豊潤で複雑な『バタール・モンラッシェ 2008年』。

メインの肉料理は「アヴェロン産仔牛のフィレ・ミニョン、旬のキノコのフリカッセ添え」。この料理には祝宴の地にちなんだ『クロ・ド・ヴージョ 2015年』、そして凝縮感と深みを誇る『マジ・シャンベルタン 2005年』。「ブルゴーニュのチーズ」には、この夜のハイライトとも言える2本。『シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ 2010年』と、モノポール畑『コルトン クロ・デ・コルトン・フェヴレ 1990年』がマグナムボトルで供された。

祝宴は中央の演台に陣取った地元ブルゴーニュの音楽隊「レ・カデ・ド・ブルゴーニュ」による高らかな歌声で彩られ、参加者全員でグラスを掲げる伝統的な乾杯「バン・ブルギニョン」が何度も繰り返されるなど、終始和やかで祝祭的な雰囲気に包まれた。

淡水魚を使った魚料理と、それに合わせた『コルトン・シャルルマーニュ 2018年』

この夜、最も大きな注目を集めたのは、未来に向けたドメーヌの重要な発表であった。まず登壇したテクニカルディレクターのジェローム・フルー氏が「私たちは2022年から、シャブリ、コート・ド・ニュイ、コート・ド・ボーヌ、そしてコート・シャロネーズに広がる全ドメーヌ(140ヘクタール)でビオロジック農法への転換を完了させた。そして、記念すべき2025年ヴィンテージから、ドメーヌの全てのワインがビオロジック認証を取得することになった」とオーガニック栽培への完全な移行を宣言した。

続いて登壇した6代目当主フランソワ・フェヴレ氏は、普仏戦争やフィロキセラ禍、二つの世界大戦といった幾多の困難を乗り越えてきた家族の歴史を振り返った。そして、ブルゴーニュ・ワインの発展に寄与した祖父ジョルジュ・フェヴレが「シュヴァリエ・デュ・タストヴァン騎士団」の創設メンバーの一人であったという誇り高きエピソードが披露された。
そして、「この記念すべき年に、私たちは所有するクロ・ヴージョの畑の一部をオスピス・ド・ボーヌに寄贈します。このキュヴェは『キュヴェ・フランソワ・フェヴレイ』と名付けられることになりました」と発表すると、会場から大きな拍手がわき起こった。

最後に、現当主である7代目のエルワン・フェヴレ氏とエヴ・フェヴレ女史が登壇。父への感謝、そしてドメーヌを支えるスタッフへの敬意を述べるとともに、8代目となる子供たちを紹介。伝統を守りながらも革新を続けるフェヴレ家の力強い未来と、盤石な継承を印象付けた。

200年の歴史を振り返る

メゾン・フェヴレの200年の歴史は、1825年、ピエール・フェヴレがニュイ・サン・ジョルジュにワイン商を設立したことから始まる。フェヴレ家のDNAには、ワイン造りと並行して他の事業も手掛ける起業家精神が深く刻まれており、代々の当主は靴職人、医者、弁護士、技術者といった多様な顔を持ちながら、ドメーヌの礎を築き上げていった。

歴史的な転換点となったのは1874年、2代目のジョゼフ・フェヴレの時代である。彼はコルトンの丘に3ヘクタールを超える畑を購入し、その中には、後にドメーヌの象徴となるモノポール「クロ・デ・コルトン」が含まれていた。この買収は、フェヴレがネゴシアンから偉大なドメーヌへと舵を切る、未来への投資であった。

20世紀に入ると、4代目のジョルジュ・フェヴレは、1934年に設立された高名な「利き酒騎士団」の創設者の一人として歴史に名を刻んだ。これは、フェヴレ家がブルゴーニュワイン文化の保護と発展に深く貢献してきたことの証である。

1980年代から2000年代初頭にかけて、6代目のフランソワ・フェヴレが率いた時代は、多くのワイン愛好家にとって「フェヴレのスタイル」を定義づけるものとなった。この時期のフェヴレのワインは、その濃密さと驚異的な長期熟成能力で名を馳せた。

新世代による静かなる革命

21世紀に入り、メゾン・フェヴレは大きな変革の時代を迎える。2005年、エルワン・フェヴレ氏は父フランソワ氏がドメーヌを継いだのと同じ25歳という若さで、その重責を引き継いだ。当初は天体物理学者を夢見たという科学的思考の持ち主である彼は、ブルゴーニュの伝統に敬意を払いつつも、客観的かつ合理的な視点でドメーヌの未来を見据えていた。そして14年、ラグジュアリーやコスメ業界でキャリアを積んだ妹のエヴが合流。ドメーヌ史上初めて経営に携わる女性となった彼女は、その洗練された感性で、フェヴレの新たな物語を世界に発信する役割を担っている。

エルワン氏が目指したのは、父の時代のワインとは対極にあるスタイルだった。
「より柔らかく、ソフトなワインに舵を切りたい」という彼のビジョンは、若いうちから楽しめ、かつ長期熟成のポテンシャルも失わない、フィネスに満ちたワインであった。彼は自らのアプローチを「肉をグリルするのではなく、スロークッキングするようなものだ」と表現する。

このスタイルの変革は、醸造所の設備から細かな技術に至るまで、包括的かつ計画的に実行された。18年に完了したニュイ・サン・ジョルジュの醸造所の大規模な改装が、その中核をなす。グラン・クリュとプルミエ・クリュの赤ワインは、温度管理が可能な円錐台形の木製発酵槽で醸造されるようになった。また、樽から樽へワインを移す澱引きの際には、不活性ガスを用いてワインを優しく押し出す最新システムを導入した。

科学的合理性に基づく環境への取り組み

メゾン・フェヴレの真の力は、その広大かつ素晴らしい自社畑にある。総面積は120ヘクタールを超え、その中には12のグラン・クリュと22のプルミエ・クリュが含まれる。そして、エルワン・フェヴレ氏は、この偉大なテロワールの一つ一つの個性を、より鮮明に、より純粋に表現するための試みを強力に進めている。

エルワン氏とエヴさんは「オーガニック栽培への移行は哲学であり、販売戦略ではない。私たちのワインは、オーガニックでなくとも売れる」と断言する。彼らの目的は、マーケティング上の付加価値を得ることではなく、土壌の生命力を守り、健全な生態系を次世代に引き継ぐことにある。
この環境への取り組みを支えるのが、エルワン・フェヴレ氏の明快な哲学、すなわち「科学的合理性の重視」である。天体物理学者を志したこともあるエルワン氏は、経験と伝統を尊重しつつも、あらゆるプロセスにおいて科学的な厳密さを求め、ワイン醸造に科学的基礎を築いたルイ・パスツールに範を求める。

不変のDNA

メゾン・フェヴレの200年の歴史の中で、スタイルの振り子は大きく揺れ動いたが、その中心軸は決してぶれることがなかった。ブルゴーニュの土地に対する遺伝的なまでの深い愛着、常に未来を見据える起業家精神、そして自らの仕事に対する揺るぎない誇り。これらこそが、200年にわたり変わることのないフェヴレのDNAといってよいだろう。