写真・文/コウゴアヤコ
醸造家の夢を育てるミニブルワリー
京王線・JR南武線の分倍河原駅からブルワリーバスに揺られ、武蔵野ビール工場へ向かう。JR府中本町駅からなら徒歩15分ほどだ。ガラス張りの建屋内には大きな仕込設備が並び、風に乗って麦汁を煮る甘い香りが漂ってくる。
受付を済ませてセミナールームに入ると、工場長の丸橋太一さんと、ビール商品開発研究部で「マスターズドリーム」を担当する林智恵さんが迎えてくれた。
原料や製法の話だけではない。ビールが人々の暮らしや文化にどのような喜びをもたらしてきたのか、その歴史にも話は及ぶ。
「醸造家とは職業ではなく人生です」
そう語る丸橋さんの言葉ひとつひとつに、ビールづくりへの深い愛情と覚悟がにじんでいた。約七千年にわたるビール文化の喜びを未来へつないでいくこと。それこそがサントリーの使命なのだという。
工場見学では、先ほど外から眺めた大きな仕込設備へ。高い天井の吹き抜け空間では、サプライズでサックスの生演奏が始まった。奏者は国立音楽大学大学院を最優秀賞を受賞し、修了した中村有里さん。流れるような滑らかなメロディラインが、仕込室の広大な空間に響いた。その豊かな音色は、梅雨の晴れ間の青空へと吸い込まれていくようだった。
そして、この工場見学のもう一つの見どころが、普段のツアーでは公開されないミニブルワリーである。
ここでは限定販売しているアルトビールやテーマパーク向けの限定ビールを醸造しているが、その役割は小さな醸造所にとどまらない。開発・生産一体型工場として、その可能性を試す「実験室」であり、すべてのサントリービールの「原点」でもある。
一度の仕込に使う麦芽は約1,000キロ。醸造中は2〜4時間ごとにサンプルを採取し、細かな分析を繰り返す。
「発酵の変化を見守るため、担当者が泊まり込みで作業を続けることも珍しくありません」と丸橋さん。
そうして積み重ねられた膨大なデータと経験が、サントリーの品質を支えている。試験醸造されたビールの多くは、税務手続きを経たのち廃棄される。それでも手を緩めないのは、「理想の一杯」を追い求めるためだ。
廊下の突き当りに据えられた、書道家・武田双雲氏が揮毫した『夢』の書。醸造家たちの情熱を象徴するような、力強い筆致が印象的だ。
この書に象徴されるように、ミニブルワリーは醸造家たちの実験室であり、夢を育てる場所でもあるのだ。
伝統と革新の融合「マスターズドリーム」
見学を終え、セミナールームで工場長渾身の一杯、「マスターズドリーム」をいただく。
デンマーク式の掛け声で乾杯「スコール!スコール!スコーール!!」
きめ細かな泡、口に含むと柔らかな苦味と奥深いコクが重なる。喉を過ぎたあとには、熟成感を帯びた甘みが長く余韻を引いた。
このビールが目指したのは、「世界へ。究極のおいしさ。新たなビール文化への挑戦」。幾重にも味わいが響き合う、多重奏のような一杯だ。
この味を表現するのに、素材も製法も妥協しない。ヨーロッパの伝統的な銅釜の味わいを安定して再現するため、独自の銅製循環型ケトルを開発。熱伝導率の高い銅に麦汁が触れることで、深いコクと芳ばしさを引き出している。
さらに、一部には大麦を床に広げて発芽させる伝統製法「フロアモルティング」によるダイヤモンド麦芽を使用。醸造家たちの夢と情熱、そして信念を注ぎ込んで完成したビールだ。
ビールが世に出るまでには長い時間が必要だという。ザ・プレミアム・モルツには約20年、マスターズドリームには約10年。
利益や効率を優先するのではなく、本当につくりたい味を追い求める。その姿勢が、グラスの中から静かに伝わってきた
サントリーが受け継ぐ「やってみなはれ」
ビールは約七千年前に生まれ、人々の栄養源となり、乾杯を通じて友情や歓待の文化を育んできた。その長い歴史の中で受け継がれてきた喜びを、未来へつないでいくこと。それがサントリーの掲げる使命だ。
その原点にあるのが、「やってみなはれ」の精神である。
「日本中を驚かせる、本当においしいビールをつくりたい。」
その思いから、1967年には日本初の瓶の生ビール「純生」を発売。1986年には麦芽100%の「モルツ」を世に送り出し、ノンアルコールや糖質オフという新たな市場も切り拓いてきた。そして2003年には、世界最高峰のピルスナーを目指した「ザ・プレミアム・モルツ」が誕生。「プレミアムビール」という新しい文化を日本に根づかせた。
しかし、醸造家たちの探求は終わらない。
2015年に誕生した「マスターズドリーム」は、幾代もの醸造家が胸に抱き続けた、もう一つの夢への挑戦だった。
科学技術が進歩した現代でも、原料である農作物は毎年表情を変える。だからこそ、仕込や発酵の工程では、経験と技術を総動員し、何度も確かめながら理想の味へと導いていく。
仮説を立て、つくり、確かめ、さらに磨き上げる。
ミニブルワリーで目にした無数の試験醸造は、そんな営みの積み重ねだった。
工場見学を終えて振り返ると、そこにあったのは巨大な設備でも最先端の技術でもなく、「もっとおいしいビールを届けたい」という、醸造家たちのまっすぐな情熱だったように思う。
今晩グラスに注ぐ一杯にも、そんな物語が隠れているのだ。