二回目となる今回は、開発中に交わした様々な会話をご紹介する。
2025年6月。料理家の和田明日香さんと「サントリー〈天然水のビール工場〉東京・武蔵野」(以下武蔵野ビール工場)を再訪した。「日本の食事に合わせるべきビール」というコンセプトは決まってはいるが、具体的にどのような方向を目指すのか。メンバーで目指すベクトルを揃えるためだ。
「先日、このプロジェクトのために編集部で国内外の10銘柄近いヘレスの試飲をさせていただきました。麦の旨味が強すぎるとボディが重くなってしまうし、足らないと薄く飲んだ満足感がない印象になってしまう。ヘレスというビアスタイルはとても繊細なバランスの上に成り立っているのだなぁと、改めて気づきました。さらにホップの苦味や香りの程度によっても印象が大きく違う。正直なところ、飲ませてもらったビールがみな同じビアスタイルとは思えないほどでした」と明日香さん。
「今回のプロジェクトでは、ミュンヘン発祥である正統派なスタイルを踏襲しつつ、日本の食卓で楽しんでもらえるよう、懐の深さのあるビールにしたいと思っています。その方向で、いったん試醸してみようと思うのですが……」とビール商品開発研究部の開発主幹(当時)の山口豊さん。むろん我々としても異存はない。「楽しみにしています」と明日香さんも目を輝かせた。
旨味、香り、飲み口、余韻……。これほど複雑な要素がまとまるのか⁉
キックオフからひと月後、初の試飲会はサントリーの田町オフィスで開かれた。ぼくと明日香さんの前には3つのグラスが並んでいる。「初回は、ヘレスの主役である麦のニュアンスの確認をお願いします。一番左が麦の旨味のアタックが強いもの、真ん中は麦とホップのバランスを考慮したもの、右はすっきりした飲み口をターゲットにしました」と山口さん。さっそくいただく。どれも教科書的にはヘレスではあるが、その印象は大きく違う。メンバー全員が、3つのグラスを交互に、トップの香り、味わい、アタック感、戻り香、余韻……などなど、あらゆる観点から自身の好みを探していく。
「一番左はちょっと重く、お料理によっては邪魔になるかもしれません。右の軽快な飲み口はいろんなお料理への対応力という観点ではいいかもしれませんが、お料理の味わい、香りとのシナジー効果は望めない気がします」。明日香さんが料理とのペアリングを前提に、感想を述べる。「麦」というパートの確認ではあるが、あちらを立てればこちらが立たずで、そのベストポジションは易々とは見つからない。これにホップのアロマや酵母が醸すエステルといった香り成分が加わると──。まさに、目の前に散らばった膨大なパズルのピースをひとつひとつはめ込むような、気の遠くなる作業だ。「うまく着地できるのだろうか──」。
その後、およそひと月に1回のペースでこうした試醸品の試飲を繰り返し、11月末に最終試醸品が完成し、武蔵野ビール工場で試飲を行った。
使用を想定したホップ(ペレット状)も、複数香りを確認しながら意見交換をおこなった
いつでも傍らに寄り添うビール、それが東京クラフト「ヘレス」だ
「今回、お話をいただいたへレスは、麦の旨み、ほのかな甘み、そして穏やかな苦味をいかにバランスさせるかが勝負でした。特に意識したのは、麦由来の優しい香りと旨み、そして後味に残らないやわらかく切れていく苦味です」と、プロジェクトのリーダーを務めてくれた浅野翔さん。
サントリーは看板商品の「ザ・プレミアム・モルツ」からもわかるように、麦の味わいを最大限に活かす技術開発を続けてきた。浅野さんが言葉を続ける。
「麦芽100%にこだわったビールづくりを通じて、コクがありながらも後味はすっきり、飲み続けても重くならない――、そんな理想的なバランスを我々は追求しており、今回のヘレスも、その延長線上にあります。前回の試醸では、明日香さんから『香味のバランスはよいが、東京クラフトらしい麦の存在感をもう少し感じたい』というご意見をいただき、最終的に麦の風味と全体の厚みを微調整し、仕上げました」
今回のプロジェクトをまとめてくださった、ビール商品開発研究部 開発主幹の浅野翔さん
果たして完成した「東京クラフト〈ヘレス〉」は──。
口に含むと、麦のやさしく甘い香りが立ち上がる。そして、飲み進めるほどに旨みが広がり、そこに控えめではあるが、サントリーが得意とする「欧州産アロマホップ」の上品な香りと苦味が重なり、軽やかな飲み口となる。そしてフィニッシュは、それらが一体となりきれいな余韻となって消えていく。いやがうえにも、次のひと口が飲みたくなる。
「こんな軽やかな立ち居振る舞いなのに、ビールの大切な要素がどれも蔑ろにされていないことがよくわかります」と明日香さん。
「実は、試醸を繰り返すたびに、丸橋から『サントリーっぽい』と指摘されていたんです。つまり、我々の手癖というか、どこか意識の外でやり慣れた手法をとってしまっていたのだと思います。このプロジェクトのおかげで、当たり前のことを当たり前に、そして丁寧につくりこむということが、いかにビールづくりにおいて大切であるかを改めて痛感しました」。浅野さんが感慨深そうに語った。
「でも、このヘレスの凄いところは、醸造家の皆さんがこれほどまでに緻密な設計をしながら、それを微塵もひけらかすようなことがありません。もしかしたら、さらっと、単に『おいしいビール』で通りすぎる人がいるかもしれない。でも、私はそれでいいのだと思います。私が目指すお料理も、たとえ自分としてはいろいろ工夫を凝らしたとしても、そのお料理を食べてくれる家族や友人がその場でいろいろと語らい楽しい時間を過ごしてくれれば、それで私のつくったお料理は充分役目を果たした、と思えるからです」と明日香さん。
「明日香さんのおっしゃる通りですね。我々のつくるビールも、人と人が集まる場所で、自然と会話や笑顔が生まれる時間をつくるお手伝いができたら、醸造家冥利に尽きます。今日いただいた評価を最終製品にしっかり落とし込むよう、責任をもって仕上げます」と丸橋さんが、工場現場を取り仕切る醸造技師長の熊谷武士さんに目をやった。
「はい、これから本醸造に入りますが、開発段階から約1000倍のサイズで設備も大きく異なるため、より詳細な設計が必要になります。このへレスにとって最も重要な工程である『仕込』で麦の美味しさをいかに引き出すかが、我々現場の腕の見せ所です。ぜひ、期待してお待ちください」と、熊谷さんは言い切った。
~第三回に続く~
※本稿は、ビール王国49号に掲載した「サントリー×ビール王国with 和田明日香さんで、東京クラフト限定ビール『へレス』をつくりました」に加筆、一部構成を変え転載しています