三回目となる今回は、製品化に際し試醸から本醸造用の仕込が約1000倍にスケールアップする過程で、何が変わり、何が難しくなるのか。現場を取り仕切る醸造技師長の熊谷武士さんにお話を伺った。
妥協なき原料の選定から始まった「東京クラフト ヘレス」の醸造
「いま、本番の仕込を終えてきたところなんです」と、熊谷さんは満面の笑みで話し始めた。その笑顔には、どこか安堵感もうかがえる。きっと、その仕込はいつも以上に気を使ったに違いない。ヘレスは、水、麦芽、ホップ、そして酵母という基本原料のみで勝負する、下面発酵のラガースタイル。強いホップの香りやエステルで個性を足すのではなく、素材そのものの質がそのまま味わいに現れる、いわば“裸のビール”なのだ。
「何かを足して化粧することができないんです。だからこそ、試醸の段階から一つひとつの工程に、いつも以上に神経を使いました」
サントリーでは、欧州や北米などの生産者と長年にわたり信頼関係を築き、麦芽やホップを調達している。現地には醸造家が実際に赴き、その品質を確認するというこだわりようだ。今回の「東京クラフト〈ヘレス〉」では、通常の品質基準を満たす原料の中から、工場の醸造チームのメンバーがロット単位で事前に官能評価を実施し、決定した。
「今回の『東京クラフト〈ヘレス〉』に使う麦芽は、より丁寧に選びました。ビールの原料は農作物なので、畑によっても、その年の天候によっても状態が違います。特別な原料を新規調達したわけではありませんが、麦芽由来のほのかな甘い香りと旨みをしっかり引き出せるような麦芽にこだわりました。」
サントリー〈天然水のビール工場〉東京・武蔵野の仕込釜。1仕込みあたり100kリットルで行なわれる
開発から生産へ ──。スケールアップの難しさ
サントリーでは、新製品等の開発段階の試験醸造は、約100Lのサイズで行っている。そこで製品化が決定したビールは、「サントリー〈天然水のビール工場〉東京・武蔵野」(以下、武蔵野ビール工場)にて約1000倍のサイズで仕込や発酵が行われる。
料理では「大きな鍋で大量につくるとおいしくなる」とよく言われるが、ビールの醸造において同じことが言えるのか。
「ビールの場合は、サイズが大きくなれば品質が上がる──、というわけではありません。大きさ(容量)だけでなく、設備の構造も異なるので単純比較はできない、というのが正直なところです」
なるほど、基本構造の詳細はここでは割愛するが、熊谷さん曰く、例えば仕込工程は、試験醸造に対し、熱をかける蒸気の温度、加熱面積、撹拌機などの設備や制御の違いに加え、大容量ゆえに中味を釜から釜へ移送する時間もかかってしまうことなども、設計として考慮しなければならないという。
「料理で言えば、火加減や混ぜ方を細かく使い分けながら、じっくり熱反応を進めるイメージです。狙いの味わいを引き出す条件を設計し制御するのは難しいですが、その分うまくいったときは試験醸造のときよりもっと美味しい中味をつくれるところが、工場のビールづくりの醍醐味です。」
もちろん、仕込だけでなく、発酵にも細心の注意が払われた。
「ヘレスのやさしい余韻を実現するため酵母に元気よく、しかし穏やかに働いてもらう──。その条件づくりが発酵の難しさとなります」
ヘレスは裸のビールと先述した。酵母由来のエステル香などのフレーバーが過剰に出ると全体のバランスが崩れてしまう。また約1000倍という容積の違いは発酵中の酵母にかかる圧力の違いにもなる。つまり、酵母にかかるストレスが大きく変わるため、その変化も注視する必要があるのだ。
お話を伺った醸造技師長の熊谷武士さん。スケールアップ時の難しさだけでなく、ビール造りの深さを教わった
「ヘレスは際立った特徴がない、と言われがちですが、実はその分ビールづくりに向き合って丁寧につくらないと成立しないんです」と熊谷さんはしみじみと言った。ホップで個性を演出することが多い主要なクラフトビールとは違い、すっきりとしていながらしっかりと旨味を感じられる麦芽の風味、それに奥行きをもたらす酵母由来のフレーバー、そして涼風のようにさらっと漂うホップの香り。それらが、ここしかない! というピンポイントでバランスしてこそ、王道のヘレスとしての醍醐味が堪能できるのだ。
「東京クラフト〈ヘレス〉」の製造にあたっては、仕込、発酵、貯酒(熟成)、ろ過の段階において、熊谷さんも工場のチームメンバー達とともに現場での品質をいつも以上に細かく確認する予定だという。「自然なビールの美味しさを、きちんと届けたい」、その一心からなのだろう。
IPAのような派手さは、確かにないかもしれない。しかし、王道のヘレスをつくるには、確かな技術と素材選びの段階から妥協しない、醸造家としての誠実さが不可欠だ。
サントリーが真正面から挑んだヘレス。製品を入手次第、そのインプレッションをお届けする。
酵母のコンディションなど、仕上がるまでに自らも常に状態を確認する
※本稿は、ビール王国49号に掲載した「サントリー×ビール王国with 和田明日香さんで、東京クラフト限定ビール『へレス』をつくりました」に加筆、一部構成を変え転載しています