「メゾン・ルイ・ラトゥール」は12月9日、ボーヌの本社で監査役員会を開き9月5日に58歳で亡くなったルイ・ファブリス・ラトゥール社長の後任に、ルイ・ファブリス・ラトゥール社長の実弟であるフロラン・ラトゥール氏を選任した。

メゾン・ルイ・ラトゥールの新社長に指名されたフロラン・ラトゥール氏

亡くなったルイ・ファブリス・ラトゥール氏は、妻のパトリシアさんとの間に長女エレオノールさん(20)と3人の息子、ルイ氏(17)、ヴィクトル氏(14)、ガスパール氏(8)がいる。しかし、まだ若すぎるため、ルイ・ファブリス・ラトゥール氏の妹ヴィルジニーさん(55)、弟アレクシ氏(51)、フロラン氏(47)の中から社長を選び、当面「メゾン・ルイ・ラトゥール」を管理し、将来ルイ・ファブリス・ラトゥール氏の子供たちにバトンタッチすることになったようだ。

画像: ルイ・ファブリス・ラトゥール氏夫人(右)と長女のエレオノールさん(2022年11月20日、オスピス・ド・ボーヌ競売会で)

ルイ・ファブリス・ラトゥール氏夫人(右)と長女のエレオノールさん(2022年11月20日、オスピス・ド・ボーヌ競売会で)

「1797年に設立された『メゾン・ルイ・ラトゥール』は、常に独立した存在であることを大切にしてきました。前社長のルイ・ファブリスも株主、従業員、パートナー、顧客が愛着を持つ家族精神を守りながら、30年以上にわたってその発展に寄り添ってきました。フロランも同様に継続の精神に基づき、ラトゥール・グループの家族、経営陣、全従業員と緊密に連携して業務を遂行します。特に、12代目の到着に備えることが彼の役割です」と同社はプレスコミュニュケーションの中で述べている。

また、フロラン・ラトゥール氏は「真の"男"であり "リーダー"であった兄がいなくなったことを本当に寂しく思っています。彼は『メゾン・ルイ・ラトゥール』とブルゴーニュに大きな足跡を残しました。私たちは彼にどれほどの恩があるか知っています。ルイ・ファブリスが歩んできた道を、信頼と継続の精神の下、チームとともに歩み続けたいと思っています」と述べている。

フロラン・ラトゥール氏はフランスの名門、パリ高等商業学校(HEC)を卒業し、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。テクノロジー産業で働いた後、家業に戻った。

ラトゥール家は秀才を輩出しており、フロラン・ラトゥール氏の父親で、2016年に亡くなった10代目のルイ・ラトゥール氏は後にフランス大統領となるジャック・シラクと名門パリ政治学院の同期。ルイ・ファブリス・ラトゥール氏も1985年にパリ政治学院を卒業している。さらに今年10月に亡くなった叔父に当たるブルーノ・ラトゥール氏はパリ政治学院の教授を務め、21世紀に最も影響力を与えた哲学、人類、社会学者として、2021年に『京都賞』を受賞している。

ルイ・ファブリス・ラトゥール氏は2003年にシャブリの「シモネ・フェーヴル」を、08年にボージョレの「アンリ・フェッシ」を傘下に収め、ブルゴーニュ・ワインの品ぞろえを拡大した。また、グラン・オーセロワやボージョレ南部のピエール・ドレなど、あまり知られていない地域のプロジェクトや畑の開発にも着手し、年間約75万ケースのワインを生産、販売する、ブルゴーニュ最大のネゴシアンの一つとして、世界的な名声を確立した。日本市場は長年「アサヒビール」を通して販売し、相互訪問で信頼関係を築いている。

画像: 1999年から23年間「メゾン・ルイ・ラトゥール」の社長を務め、今年9月に亡くなったルイ・ファブリス・ラトゥール氏

1999年から23年間「メゾン・ルイ・ラトゥール」の社長を務め、今年9月に亡くなったルイ・ファブリス・ラトゥール氏

先代のルイ・ラトゥール氏は極めて思慮深く洞察力に富み、ブルゴーニュの知性と呼ばれた人物で、1980年代半ばから始まった、超熟葡萄を最大限に抽出し、新樽を使って熟成した“濃縮”ワインの流行に抗して、伝統的なエレガントなブルゴーニュ・ワインを守り続けた。このため、流れに取り残され一時期存在感が薄れた期間があった。しかし、99年に社長に就任したルイ・ファブリス・ラトゥール氏の下で、伝統と革新を融合させたダイナミックな活動を展開し、特にこの10年来、ブルゴーニュの伝統を継承し続けた「ルイ・ラトゥール」を再評価する動きが急速に高まり、再びブルゴーニュのトップランナーに躍り出た。

ルイ・ラトゥール氏は伝統を守る頑固な家族経営を貫く一方、生産販売戦略は極めて革新的で、コート・ドールに約50ヘクタールの畑を所有し、ブルゴーニュ最大のグラン・クリュ畑の所有者ながら、1979年にリヨンの南のアルデッシュ県でシャルドネを使った白ワインの生産を始め、さらに89年には地中海に面したヴァール県でピノ・ノワールの栽培を始めるなど、ブルゴーニュの枠に捕らわれない活動を展開した。

画像: 1973年から99年までメゾン「ルイ・ラトゥール」を指揮した先代のルイ・ラトゥール氏

1973年から99年までメゾン「ルイ・ラトゥール」を指揮した先代のルイ・ラトゥール氏

「メゾン・ルイ・ラトゥール」は1891年にアロース・コルトン村のグランセ家から15ヘクタールのグラン・クリュを含む33ヘクタールの畑を購入した。これが現在のドメーヌ・ルイ・ラトゥールの中核を成している。この時同時に取得した醸造所は34年に造られたものだが、当時の最新技術を取り入れており、現代のグラヴィティ・システムの観点からみても大変合理的な構造だ。

画像: アロース・コルトン村にある醸造所。19世紀のテクノロジーをそのまま残している

アロース・コルトン村にある醸造所。19世紀のテクノロジーをそのまま残している

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