夏が来ると「クリュッグ」が飲みたくなる。

クリュッグの染み入るようにのどを潤す清涼感は暑さでぼやけた感覚を呼び覚まし、また重量感のある深い味わいは料理に負けることもない。うだるような暑い日でも、手の込んだ料理を食べたい時もある。そんな時、クリュッグは格好のお伴になってくれるのだ。

クリュッグは1843年にヨーゼフ・クリュッグ氏が「出来得る最高のシャンパーニュを、気象条件を問わずコンスタントに送り続ける」という自らの夢を体現すべく設立したメゾン。こだわり抜いてアサンブラージュ(ブレンド)したワインを長期瓶内2次発酵するシャンパーニュは、「クリュッグラヴァ―」と呼ばれるクリュッグしか飲まない熱狂的ファンもいるほど評価が高い。ベーシックなノン・ヴィンテージの『グランド・キュヴェ』でも、瓶内2次発酵の期間は最低7年にも及ぶ。シャンパーニュのAOC(*1)規定では最低15カ月熟成だから、7年という歳月はケタが違う。一般的なシャンパーニュ・メゾンなら最上キュヴェに相当するだろう。

*1 Appellation d'Origine Contrôlée(アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ)の略。原産地統制名称。原産地、ブドウ品種、醸造法などについて、INAO(国立原産地呼称研究所)により厳しく管理・統制された、フランスの最高格付けのワイン

グランド・キュヴェが7年の長い眠りにつくのは毎年6月。つまり3月に前年収穫のワインをベースとするアサンブラージュが決定し、6月から瓶詰めを開始する。この瓶詰めに先立ち、今年5月に世界中からジャーナリストを集めて2022年ヴィンテージをベースとするアサンブラージュの発表会が催された。

『クロ・デュ・メニル』も『グランド・キュヴェ』も同じコンセプトで

朝8時半、朝露に濡れたクリュッグの単独所有畑「クロ・デュ・メニル 」に赴くと、セラーマスター のジュリー・カヴィルさんがゴム長靴姿で出迎えてくれた。クロ・デュ・メニル といえばブラン・ド・ブラン(*2)の最高峰、つまりシャルドネ100パーセントでしかも単一畑。一見アサンブラージュの粋であるグランド・キュヴェと相反するようだが、ジュリーさんは「同じ手法」と教えてくれた。
クロ・デュ・メニル の表面積は、ほぼ正方形の1.8ヘクタール(「ロマネ・コンティ」と同じ!)。サイズこそ小さいかもしれないが、実は区画内でも微妙にテロワールが異なる。遮るものがなく直射日光を浴びる緩やかな斜面上部は早熟で、対して林が迫り影を落とす下部の北寄り部分は冷涼になる。クリュッグではわずか1.8ヘクタールでも内部をパーセル(区画)分けして収穫も別にし、後でアサンブラージュしているのだそうだ。

*2 白ブドウのシャルドネだけで造られたシャンパーニュ

画像: 「クロ・デュ・メニル」の畑でクリュッグのアサンブラージュについて解説するセラーマスターのジュリー・カヴィルさん。ゴム長靴は甲まで汚れていて普段から畑に出ていることがわかる(左) 『グランド・キュヴェ』の決め手となるリザーヴワインが立ち並ぶカーヴ(右)

「クロ・デュ・メニル」の畑でクリュッグのアサンブラージュについて解説するセラーマスターのジュリー・カヴィルさん。ゴム長靴は甲まで汚れていて普段から畑に出ていることがわかる(左)
『グランド・キュヴェ』の決め手となるリザーヴワインが立ち並ぶカーヴ(右)

4000回の試飲から生まれる『グランド・キュヴェ』

わずか1.8ヘクタールのクロ・デュ・メニル でさえ内部を細分化しているクリュッグのこと、グランド・キュヴェのアサンブラージュのもととなる畑も細かく分類・管理されている。
セラーマスターのジュリーさんがアサンブラージュのために試飲を始めるのは晩秋から。まずはベースとなる発酵を終えたばかりのワイン400種類をそれぞれ2~3回ずつ、続いて前年以前のリザーヴワイン(貯蔵してある良作年の原酒)を数種類試飲する。つまりアサンブラージュのために数カ月で約4000回試飲していることになる。

この日はアサンブラージュのもととなるスティルワインの一部を、畑違い、品種違い、ヴィンテージ違いで16種類試飲した。同じシャンパーニュ地方のワインといっても生産村(テロワール)が異なれば味はかなり変わってくる。そして同じ村でもブドウ品種が異なれば、これまた全く違ったワインになる。さらに、そこへヴィンテージの異なるリザーヴワインが加わる。2022年のアヴィーズ村の畑違いのサンプルボトルは、同じシャルドネでも1本はミラベルのように色の濃い果実のよく熟したアロマがあり、別の1本はヴェジタルな香りにかみしめるような強い味わいで、かなり趣が異なる。また、同じく22年産のリセイ村の品種比較ではピノ・ノワールがエレガントで上品な香りなのに対し、ピノ・ムニエはもっとわかりやすい爆発するような強いアロマを放ち、特徴ははっきりと異なっていた。リザーヴワイン、2010年のオジェ村産は丸みがあって力強く、スティルワインとして完成している。

画像: アサンブラージュに使われた152種類のワインのうち、16種類を試飲

アサンブラージュに使われた152種類のワインのうち、16種類を試飲

画像: 発表会では『グランド・キュヴェ』の過去10エディションと『ロゼ』の過去5エディションの垂直テイスティングも体験

発表会では『グランド・キュヴェ』の過去10エディションと『ロゼ』の過去5エディションの垂直テイスティングも体験

筆者はブルゴーニュ在住25年。25年分のヴィンテージの記憶をたどれば、バレルテイスティングであっても若いワインがどう成長していくのかといったシミュレーションはある程度可能だ。しかし、今回の体験は異次元だった。それぞれの味の違いは明確にわかるが、どのサンプルボトルをどの割合でどうアサンブラージュしたら、7年の長期熟成を経てあのような清涼感と重量感を兼ね備えたグランド・キュヴェの味わいにたどり着けるのか、難解な数学の問題を解いているようでさっぱり見当が付かない。初めは自分がアサンブラージュするつもりで真剣にテイスティングコメントを書いていたが、途中から白旗を上げて目の前で次々と注がれるサンプルをテキパキと解説していくジュリーさんを畏敬の目で見つめるしかなかった。

広告業界からの転職、メゾン生え抜き‥‥‥異色のセラーマスター

2020年1月にセラーマスターを引き継いだジュリー・カヴィルさん。オフィスカジュアルないでたちに、穏やかながらも理路整然とした語り口は、いかにも都会のキャリアウーマン風だ。しかし握手しながら足元にふと目をやるとゴム長靴、しかも甲の部分までしっかり泥が付いているではないか。
「私はカーヴに閉じこもらず、畑にも出るセラーマスターなの」とジュリーさんはいたずらっぽく語る。パンプスを履くのはパリでファイナンス系の会議に出席する時だけ。彼女は現場に出るのが大好きなのだ。

そんなジュリーさんはシャンパーニュのセラーマスターでは極めて珍しい異業種からの転職組だ。パリで広告会社の営業をしていたジュリーさんはご主人と一緒にテイスティング講座やワインショップが主催する試飲会に頻繁に参加するワイン愛好家だった。やがて真剣にワインに取り組みたくなり、28歳の時に退職、ご主人と一緒にランスに引っ越してきた。たまに農学士から転学して醸造学修士の国家ディプロマを取得する人は見かける。しかし、30歳目前でワイン農業高校から入り直し、2度の出産を経験しながら醸造学修士を取得、名門メゾンのセラーマスターまで上り詰めたのは彼女くらいのものだろう。

画像: 『クリュッグ グランド・キュヴェ 171 エディション』をサービスするジュリーさん(左) クリュッグ家6代目当主のオリヴィエ・クリュッグ氏(右上) 2022年4月に社長に就任したマニュエル・レマン氏(右)と筆者。「異業種から転身したのはジュリーさんだけではなく、私も同じです。ファイナンス畑から『モエ・エ・シャンドン』で製造責任者に転じました。もちろん現場に全幅の信頼を置いていますが、当時の経験は経営者になって非常に役に立っている。クリュッグは現場を知っているメゾンです」(右下)

『クリュッグ グランド・キュヴェ 171 エディション』をサービスするジュリーさん(左)
クリュッグ家6代目当主のオリヴィエ・クリュッグ氏(右上)

2022年4月に社長に就任したマニュエル・レマン氏(右)と筆者。「異業種から転身したのはジュリーさんだけではなく、私も同じです。ファイナンス畑から『モエ・エ・シャンドン』で製造責任者に転じました。もちろん現場に全幅の信頼を置いていますが、当時の経験は経営者になって非常に役に立っている。クリュッグは現場を知っているメゾンです」(右下)

もう一つ、ジュリーさんが異例なのは、昔ながらのメゾン生え抜きのセラーマスターであること。ほんの10年程前まで、セラーマスターの職は徒弟制度に近かった。セラーマスターと一緒に長く経験を積んだアシスタントが昇格し、20年以上在職しつつ後任者を育て、ノウハウを置き土産に定年を迎える。このサイクルでメゾンのスタイルは堅実に忠実にバトンリレーされていた。それが近年では玉突き人事のごとく、数年ごとにセラーマスターがメゾンを渡り歩くことが一般化してきている。ジュリーさんとの何気ない雑談中にそのことを指摘すると、彼女の顔がパッと明るくなった。
「そうなの。最近は3年から5年後の自分のキャリア、つまり転職先を念頭に置いて自分のシャンパーニュを造るセラーマスターが増えたわ。でも私は違うの。私はクリュッグのワインを造るためにセラーマスターになったのよ」

現行のエディションは171、2023年のテーマはレモン!

『グランド・キュヴェ』のラベルをよく見ると、小さくエディション・ナンバーが入っている。これはクリュッグがシャンパーニュを造り始めてから何回目のアサンブラージュなのかを表しているものだ。今回体験したのは178回目、「エディション 178」のためのアサンブラージュ。今年6月に瓶詰めしたワインが市場にお目見えするのは、最短でも7年熟成後の2030年末となる。現在、日本市場で手に入る最新エディションは、2015年ヴィンテージのワインをベースとする「エディション 171」だ。

画像: 晩さん会では『178 エディション』で使用されている最も古いリザーヴワイン、2006年ヴィンテージの水平テイスティングを楽しみながらレモンのマリアージュを実践

晩さん会では『178 エディション』で使用されている最も古いリザーヴワイン、2006年ヴィンテージの水平テイスティングを楽しみながらレモンのマリアージュを実践

クリュッグは毎年、さまざまな食材をマリアージュに提唱している。2023年のパートナーに選ばれたのはレモン。発表会ではランス郊外の3ツ星レストラン「ラシェット・シャンプノワーズ」のシェフが登場し、特別なメニューを組んでくれた。一般的に、酸が極端に強い食材はワインと喧嘩になってしまうリスクもあってマリアージュには敬遠されがちだが、この日はアペリティフのカナッペからデザートまで、シャンパーニュとレモンの酸味の二重奏が聞こえてきそうな素晴らしいマリアージュだった。ひとくちにレモンといえ、実際にはブラックレモンやレモンキャビアなど味わいも触感も微妙にニュアンスの異なる品種が使われていた。フレンチはもちろんのこと、柑橘類の品種の豊富さなら和食も負けていないはずだ。食欲も活力も落ちがちなこの暑さ、レモンとクリュッグのマリアージュを楽しみつつ贅沢に夏を乗り越えたい。

画像: ランス郊外の3ツ星レストラン「ラシェット・シャンプノワーズ」のシェフ、アルノー・ラルマン氏(左) 食前酒で供されたカナッペ。レモンキャビアの酸味と弾ける粒が味蕾を呼び覚ます(右)

ランス郊外の3ツ星レストラン「ラシェット・シャンプノワーズ」のシェフ、アルノー・ラルマン氏(左)
食前酒で供されたカナッペ。レモンキャビアの酸味と弾ける粒が味蕾を呼び覚ます(右)

クリュッグ グランド・キュヴェ 178 エディション

・152種類のワイン
・9ヴィンテージ分
・最も古いリザーブワインは2006年
・41%のリザーブワイン
・シャルドネ35%、ピノ・ノワール43%、ピノ・ムニエ22%

2022年は過去15年で最も収穫量に恵まれた年だった。8月24日に「クロ・デュ・メニル」(シャルドネ)から始まった収穫は、続いてピノ・ノワール、そして成熟に最も時間を要するピノ・ムニエへ。すべての収穫を終えたのは9月14日。

text & photographs by Yukiko KUMATA
カバー写真:©Krug

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