異業界から飛び込み、栽培と醸造の両面でドメーヌを改革
ギョーム・ラヴォレ氏が妻のオードさんとともに4代目を担う「ジェノ・ブーランジェール」は、オードさんの高祖父が「その地に何かを残すものを作りたい」という夢を抱き、1974年に設立したドメーヌだ。南はメルキュレから北はシャンボール・ミュジニイまで、11の村で栽培したブドウからワインを造っている。
ドメーヌの拡大に尽力した1~3代目がのこした全22ヘクタールの畑を礎に、ギョーム・ラヴォレ氏はドメーヌの大改革に着手した。ラヴォレ氏はもともとオーディオ機器などを扱う大手企業に勤務しており、ワイン造りの経験はゼロだった。醸造学校で学んだ後、4代目としてドメーヌに参画した。
「未経験だったからこそ先入観なくワイン業界に飛び込むことができた」と語るラヴォレ氏は、大きく二つの改革を行った。一つは、畑のすべてをビオディナミ(*1)に転換したこと。自然と土壌を尊重する道を選び、2018年にはすべての畑で「AB認証」(*2)を取得した。もう一つの改革は、ワインの造り方、スタイルを変えたことだ。ラヴォレ氏がドメーヌを引き継いだ08年はすべてのブドウをネゴシアンに販売していた。栽培は収量を重視したもので、質は決して良いとは言えなかったという。
*1 ルドルフ・シュタイナーが提唱した有機栽培農法の一種
*2フランス農務省による認証のマーク。「Agriculture Biologique」の略。最低3年間は有機農法実施していること、オーガニック材料を95パーセント以上含むことなど厳しい基準を設け、1年ごとの抜き打ち検査も行われる
現在は区画ごとに管理したブドウを使用し、白15種、赤15種のワインを造っている。テロワールを忠実に表現したいという思いから、すべて同じ造り方で醸している。
白ワインは、多くのオリを得るために収穫後のブドウをハードプレスする。オリや同時に抽出されるポリフェノールに接触させながらワインを熟成させることでワイン自体が酸化に強くなるため、酸化防止剤は使用しない。
忘れ去られた赤の名産地メルキュレをもう一度
ラヴォレ氏が赤ワインの産地として注目しているのがメルキュレだ。3年前、コート・ド・ニュイとコート・ド・ボーヌのワインを飲んだ後、彼の友人が1本のワインをブラインド・テイスティングでラヴォレ氏に差し出した。ラヴォレ氏は「1980年代初めのコート・ド・ニュイだ」と答えたところ、何と1945年のメルキュレだった。その時、メルキュレのポテンシャルの高さに気付いたという。
その後、メルキュレのワインをいくつか比較試飲するとクオリティーにばらつきがあった。調べてみると、質の高いワインは最近植えられたクローンで、質の低いものは1974年に植樹されたクローンだったそうだ。
「フィロキセラ禍以前の文献では、現代ブルゴーニュの中心的な産地と肩を並べる存在としてメルキュレが語られています。1970年ごろイギリスを中心に高まった需要に応えるべく、高収量、低品質のクローンが植樹され、それが今も残ってしまっているのです」
メルキュレのポテンシャルを反映するべく、ラヴォレ氏は新しいクローンに植え替えることにした。
ジェノ・ブーランジェールのワインはフランス国内での消費が生産量の半分を占め、アジア人で初めてフランスで3ツ星を獲得した日本人シェフ、小林圭氏も愛用しているそうだ。パリ8区のグランメゾン「アラン・デュカス」にもラインナップされており、同ドメーヌの赤ワインと魚料理がペアリングされているという。
キーワードは“フレッシュ”なワイン
プレスランチでは3種の白ワインと2種の赤ワインが供された。『ボーヌ プルミエ・クリュ レ・グレーヴ 2020年』は野イチゴの香りにスパイスや土の印象が重なり、シャープな酸を感じる。アフターにはチャーミングで心地いい余韻が長く続く。
「魚料理には赤ワインを合わせたほうが、味わいが柔らかく広がる」と言うラヴォレ氏にならって、「スズキと葡萄の葉のパイ包み焼き」に合わせると、ワインのしなやかさと、身のふわっとした魚のテクスチャーがマッチした。
「どんなヴィンテージでもフレッシュさを残したい」「パワーではなくフレッシュさが大切」と、“フレッシュ”というキーワードを大切にするラヴォレ氏は、パワフルなワインが多かったフランスでエレガントなワインを生み出すことで、フランス国内でも大きく成功した。
先代が描いた「その地に何かを残したい」という夢を確実に叶えながら突き進むラヴォレ氏の新たな挑戦から目が離せない。