シャンパーニュ・ルイナールはこのほど、シャンパーニュの象徴的な住所であるクレイエール通りの変貌と「ニコラ・ルイナール・パビリオン」のオープンを記念して、4つのブリュット・ヴィンテージ(2004年、2005年、2006年、2007年)の後期デゴルジュマン・バージョンを発表した。
通常、シャンパーニュは二次発酵後、澱(おり、死んだ酵母細胞)と共に数年間熟成される。この「シュール・リー熟成」が、複雑な風味や香りをワインにもたらす重要なプロセスだ。後期デゴルジュマン(Dégorgement Tardif=D.T)では、通常のタイミングよりも大幅に遅らせてデゴルジュマン(澱引き)を行うことで、澱との接触期間を意図的に長くとり、ワインにさらなる深みと、独特の熟成のポテンシャルを与える。ボランジェの「R.D.」やドン・ペリニョンの「プレニチュード」などが有名だが、ルイナールのアプローチには独自性が見られる。
2007年からルイナールのシェフ・ド・カーヴを務めるフレデリック・パナイオティス氏は、単にヴィンテージ全体を遅くデゴルジュマンするのではなく、一部のボトルを特別に選定し、ラットの上での、通常の水平にした熟成ではなく、澱と共にボトルを逆さま(シュール・ポワント)にして、冷涼で安定した環境下で長期間保管する方法を選択した。
パナイオティス氏はこの手法について「死滅した酵母細胞の層が、まるでワインと栓との間の保護膜のように機能し、酸素の緩やかな侵入をさらに制限する。これにより、ワインは何十年にもわたって、ある種の休眠状態に置かれ、驚くほどのフレッシュさを保ちながら、非常にゆっくりと複雑性を増していく」と語る。
このメカニズムの背景には、酵母の働きがある。まず、ティラージュ(二次発酵のための瓶詰め)後の数日間で酵母は急速に酸素を消費する。その後、死んだ酵母(澱)が約3年半にわたって酸素を吸収し続けるため、ワインが酸化から守られ、還元的な環境下で独自の熟成が進むのだという。
例えば、今回発表された『R de Ruinart(エール・ド・ルイナール)』の2004年ヴィンテージのマグナムボトル。通常なら09年頃にデゴルジュマンされるところ、この後期デゴルジュマンのバージョンは24年2月まで待ってオリ抜きが行われた。実に約20年もの間、澱と共に静かに熟成の時を重ねてきたことになる。

通常、右側のように、水平に積み重ねた状態で熟成させる。これに対して、逆さまの状態で熟成させると、澱が栓の内側に溜まり、酸化の進行を和らげる

ライブラリー・コレクションの構築と歴史:未来への遺産
このような長期熟成を可能にする背景には、ルイナールのライブラリー・コレクション構築への強い意志がある。パナイオティス氏が2007年にシェフ・ド・カーヴに就任した際、まず注目したのが古いヴィンテージの保管状況だった。かつてメゾンではヴィンテージの切り替え時に残ったボトルをスタッフのパーティーなどで消費してしまう慣習があり、特に1960、70年代のボトルはライブラリーにほとんど保管されてこなかったという。当初は生産量の約20%を将来のために保管するという方針だったが、後にこれは特別なプロジェクトへと発展した。公式には98年のドン・ルイナールが、特別なコルクで後日デゴルジュマンされることを前提とした、ライブラリー・コレクションの最初のヴィンテージとなった。現在も、過去の貴重なボトル、特にマグナムボトルなどの探索は続けられている。
後期デゴルジュマン・シリーズ: 4つのヴィンテージの個性
今回発表された4つのヴィンテージは、それぞれがその年の個性を映し出しながら、後期デゴルジュマンによって得られた独自の表情を見せる。

2004年(シャルドネ 55%、ピノ・ノワール 45%)
比較的温暖で乾燥した年。冷涼な夏を経たが9月の好天に救われ、健全なブドウが収穫された。当初のフレッシュな柑橘や洋ナシの香りは、時間と共に火打石や湿った石のようなミネラル香へと変化。さらにトーストやグリルしたナッツのニュアンスが現れる。口に含むと、繊細さとバランスの良さが際立ち、引き締まったアタックの後、熟した果実の充実感が広がる。

2005年(シャルドネ 47%、ピノ・ノワール 53%)
涼しい冬、暖かい春、そして夏の終わりの不安定な天候と、コントラストの強い年。しかし収穫期の好条件により、品質・量ともに優れたヴィンテージとなった。熟した黄桃やマルメロ、柑橘系の香りに、繊細なスパイス(白コショウ)、緑茶、白い花のようなニュアンスが重なる。後期デゴルジュマンにより、煎ったヘーゼルナッツやヨードを伴う高貴な還元香が現れ、複雑味を増している。

2006年(シャルドネ 52%、ピノ・ノワール 48%)
極端な気候のミレジーム。厳冬の後、7月は猛暑、8月は冷涼で多湿。9月前半の好天で収穫が進んだが、後半の天候悪化により選果が重要となった。濃縮感のある果実味と、トーストや煎ったアーモンドを思わせる優雅な還元香(かんげんこう)が印象的。味わいは豊満でしなやか。柑橘系の酸と、塩味や石灰を思わせるミネラル感が骨格のしっかりとしたフィニッシュへと導く。

2007年(シャルドネ 45%、ピノ・ノワール 55%)
シャンパーニュでは稀な8月収穫となった特異な年。暖かい春の後、夏は比較的冷涼で多雨だったが、春からの生育の勢いが品質を支えた。柑橘類と熟した白い果実のアロマ。後期デゴルジュマンによって、バニラやクローブのような甘いスパイス、軽くトーストしたアーモンドやレーズンのようなドライフルーツの香りが加わり、素晴らしい熟成感を見せている。
今回発表された特別なキュヴェは、ランスのメゾン・ルイナールでの限定販売となる。それは、これらのワインが生まれた背景、すなわち歴史あるクレイエールや、アートと自然が融合した庭園、そしてシェフ・ド・カーヴの哲学といった、ルイナールの世界観全体と共に体験してほしいというメッセージなのかもしれない。価格は、2004年産 マグナム 560ユーロ(税込)、2005年産 ボトル 210ユーロ(税込)、同マグナム 480ユーロ(税込)、2006年産と2007年産のボトルは 210ユーロ(税込)である。おそらく、すでにほとんどが売り切れている可能性が高いが、掛け合ってみる価値はある。
『R de Ruinart 2006年』に見る、通常版と後期デゴルジュマン版の対比
後期デゴルジュマンの効果を具体的に理解するために『R de Ruinart 2006年』の通常デゴルジュマン版(以下、通常版)と後期デゴルジュマン版(以下、D.T版)を、フレデリック・パナイオティス氏と共に試飲し比較してみた。両者は同じ年に収穫されたブドウ(シャルドネ 52%、ピノ・ノワール 48%)から造られているが、澱との接触期間とデゴルジュマンのタイミングが異なる。通常版は2011年7月にデゴルジュマンされたのに対し、D.T版は実に12年以上後の24年2月まで待ってデゴルジュマンされた。
通常版の2006年は、白い花やフレッシュな柑橘、黄桃などの果実のアロマが主体で、口に含むと瑞々しい果実味と生き生きとした酸が感じられる、比較的若々しく爽やかな印象。色は淡いゴールド。ドザージュ(補糖)は6g/L。繊細な魚介料理、例えば舌平目や帆立貝のポワレなどと好相性だ。

通常の『R de Ruinart 2006年』(左)、ラベルが異なる後期デゴルジュマンの 2006年(右)
一方、D.T版の2006年は、ドザージュは3g/Lと、長期熟成による複雑味とバランスを取るために低めに抑えられている。色は明らかに濃さを増し、より深みのあるゴールド。香りは凝縮感を増し、熟した果実に加え、トーストパン、ローストしたドライフルーツといった、長期のシュール・リー熟成に由来する複雑な還元香が前面に出ている。ドライフラワーやカルダモンのようなスパイス香も感じられる。味わいは通常版よりも幅広くなめらかで、熟した果実味とトースト香が層を成し、塩味や石灰のようなミネラル感がもたらす、より長く、構造的なフィニッシュへと続く。このLD版には、ソースを使った濃厚な味わいのシーフード、例えばオマール海老のアメリケーヌソースや、ウニのクリームを添えたホタテ貝のマリネなどが推奨されており、ワインの持つ深みと複雑性が見事に表現されている。この比較は、後期デゴルジュマンがいかにワインを変容させ、新たな次元の味わいを生み出すかを如実に示している。ラベルもD.T版と通常版では少し異なる。

年間平均気温、年間降水量、年間日照時間、積算温度(ユーグラン指数)、開花から収穫までの日数、収穫開始日、夏季平均気温、夏季降水量を示す気象データ レーダーチャート
2006年のヴィンテージは、直近6年平均と比較して、特に夏場の気温が高く、日照時間も長く、積算温度(ユーグラン指数)も高かったことが特徴。降水量は年間・夏季ともに平均よりやや多め。収穫は平均よりやや早く始まり、開花から収穫までの期間はやや短かった。その結果、潜在アルコール度数は平均並み、総酸度は平均よりも低くなった。これは、気温が高かったこと(特に夏)が糖度の上昇(アルコール度数に反映)と酸の減少に影響した可能性を示唆している。
「ラ・レゼルヴ」とコルク栓熟成:もう一つの革新と熟成の科学
ルイナールの時間に対する探求は、後期デゴルジュマンだけにとどまらない。もう一つの注目すべきキュヴェ『ドン・ルイナール ブラン・ド・ブラン ラ・レゼルヴ 2002年』である。これは、メゾンのプレステージ・キュヴェ「ドン・ルイナール」の中でも特別な存在だ。最大の特徴は、二次発酵後の熟成に、一般的な王冠ではなくコルク栓を使用している点にある。
パナイオティス氏はこのキュヴェについて「コルク栓の使用と、その後の長期にわたる澱の上での熟成は、キュヴェの計り知れないポテンシャルを開花させ、比類なきアロマの複雑性とフレッシュネスをもたらす」と語る。
2002年は温暖で乾燥した優良ヴィンテージ。コート・デ・ブランとモンターニュ・ド・ランス北部のグラン・クリュから収穫されたシャルドネ100%で造られる。クルミやヘーゼルナッツのような洗練された還元香、洋ナシのような白い果実、ルバーブ、アニスやリンドウのような爽やかさ。そして、火打石やトンカ豆のニュアンス。味わいは豊満かつエレガントで引き締まっており、熟した果実、ドライフラワー、スパイスが感じられる。アタックは驚くほどフレッシュ。わずかな苦みと塩味が支える長い余韻。ドザージュは3g/L。

時間経過によるCO₂の損失

時間経過によるO₂の取り込み
シャンパーニュの熟成過程において、二酸化炭素(CO₂)の損失と酸素(O₂)の取り込みは、その品質と特性に決定的な影響を与える要素である。これらの現象は左右の異なるベクトルで進行し、シャンパーニュ特有の魅力を形作っている。
時間経過によるCO₂の損失は、シャンパーニュの象徴的な泡立ちに直接影響する。モデル研究によれば、泡立ちが完全に消失するまでには数十年以上を要するとされている。ボトル内のCO₂濃度は1リットルあたり2〜2.5gが臨界点であり、これを下回るとシャンパーニュ特有の生き生きとした泡立ちが失われる。ボトル内のCO₂は限定的な資源であり、無限に供給される外部からの酸素とは対照的な性質を持つ。炭酸ガスはボトルネックを通して徐々に逃散するため、大型ボトルほど初期の炭酸ガス量が多く、長期間にわたって泡立ちを保持する能力が高いという特性がある。
一方、酸素の取り込みは特に初期段階で急速に進み、その後はコルクの特性に応じて緩やかに継続し、ワインの酸化熟成に影響を与える。コルク栓と王冠(クラウンキャップ)の比較研究では、王冠の場合、年間約5mg/Lという一定速度での酸素透過が確認されている。対してコルク栓では、最初の数ヶ月間はコルク自体から酸素が供給され、その後は透過速度が安定する。興味深いことに、約6年経過後にはコルク栓の方が王冠よりも優れた酸素バリア性を示すことが判明している。これは長期熟成型シャンパーニュにおいて、コルク栓が選好される科学的根拠となっている。
コルク栓は約15%が固形物、85%が空気という多孔質構造を持つ。その空気の中の酸素(約21%)がワインに影響を与えるが、一般的な予想に反して、ボトル内の高い圧力にもかかわらず、外部から選択的に酸素のみが微量に侵入する現象が確認されている。これは圧力があっても酸素の移動を完全には阻止できないことを示している。また、コルクはオーク材から作られ、フェノール化合物を豊富に含んでいる。これらの化合物が侵入してくる酸素と反応することで、酸素透過がある程度抑制されると考えられている。さらに、コルクからはバニリンなどの化合物が溶出し、ワインに複雑な風味(バニラやトースティな香り)を付与する。注目すべきは、死滅後も酵母は約3年半にわたって酸素を消費し続けることである。この期間中はボトル内に入る酸素量よりも消費される酸素量の方が多いため、若いヴィンテージシャンパーニュに見られる還元的な特徴(フリンティな性質など)が生じる。
ルイナールが発表した後期デゴルジュマン・シリーズと、コルク栓熟成のラ・レゼルヴ。これらは、最古のシャンパーニュ・メゾンとしての豊かな歴史に安住することなく、常に未来を見据え、新たな挑戦を続けるルイナールの精神を体現するものだ。
ルイナール独自のボトル形状の秘密
試飲会では、ルイナールの象徴的なボトル形状に関する興味深い歴史も語られた。現在ルイナール・ブラン・ド・ブランなどに使われるこの特徴的なボトルは、もともとシャンパーニュ用ではなく、1990年代初頭まで、スティルワインの「コトー・シャンプノワ・ブラン・ド・ブラン)」や酒精強化ワイン「ラタフィア」に使用されていた。これらのワインの販売が伸び悩んだ際、この美しいボトルの可能性に着目し、シャンパーニュ全製品に採用することを決断。この戦略的な転換が、ブランドイメージの刷新に大きく貢献した可能性がある。

このボトルの首部分は通常(直径29mm)より細い26mmに設計。パナイオティス氏はこのわずか3mmの違いが、熟成、特に酸素との接触に関して無視できない影響を与える可能性を示唆した。酸素の侵入を最小限に抑えることで、ワインがより長い年月をかけてゆっくりと熟成していくように工夫されている。
幻のヴィンテージとメゾンの宝:歴史を物語るボトルたち
ルイナールのライブラリーには、いくつかの逸話を持つボトルが存在する。最もドラマティックな発見の一つが、1926年のヴィンテージだ。「ニコラ・ルイナール・パビリオン」の地下にある「カーヴ・デ・ミレジム」にも飾られているこのボトルは、リヨンの有名レストラン「ポール・ボキューズ」のソムリエが地下カーヴの掃除中、泥の下から偶然発見したものだという。18本ものボトルが、洪水に見舞われるような過酷な環境下で泥に覆われていたからこそ、奇跡的に完璧な状態で保存されていた。経緯は定かではないが、ポール・ボキューズ氏が1926年生まれであることから、記念にルイナールから贈られたものではないか、とも推測されている。ルイナールはこの発見を単なる偶然としてではなく、歴史的価値ある出来事と捉え、正式な譲渡式を執り行った。その際、最近の素晴らしいヴィンテージの詰め合わせと引き換えに15本を譲り受け、メゾンで大切に保管している。提供された1926年を試飲したパナイオティス氏は「ガスはほとんどなかったが、驚くべきことに酸化の兆候は全くなく、まるでトカイワインか、ソーテルヌ、あるいはアプリコットのようだった。信じられないほど素晴らしかった」とその感動を語る。これらのボトルは、生産からちょうど100年を迎える2026年に開催されるであろう特別なイベントで提供される予定だという。

「ニコラ・ルイナール・パビリオン」の地下にある古いヴィンテージを集めた展示室で、それぞれのボトルの歴史、逸話を語るシェフ・ド・カーヴのフレデリック・パナイオティス氏

最古のメゾンが見据える未来:伝統と革新の融合
ルイナールの挑戦は、熟成方法だけにとどまらない。近年の気候変動という大きな課題にも科学的知見に基づき、真摯に取り組んでいる。メゾンでは、ブドウの生育期間中の平均気温、最高気温、日照時間などから算出される「ユーグラン指数」をヴィンテージごとに分析。1960年代に「素晴らしい年」とされた温暖な年の気温が、現在では平均的な年の水準にしかならないという事実を把握し、温暖化がブドウの生育に与える影響を注視している。過去の“良いヴィンテージ”の基準が今日では通用しない可能性を認識し、単に“良い”ヴィンテージを追求するのではなく、各年の個性を最大限に引き出すアプローチへと進化している。具体的な対応策として、収穫時期の判断をより精密に行い、ブドウの選別基準を見直す一方で、シャンパーニュらしさを保つためにマロラクティック発酵の省略といった極端な対応は避け、伝統的な製法の中で解決策を見出そうとしている。

シャンパーニュ地方における地球温暖化の影響を、Huglin Index(ユーグラン指数)で説明したグラフ
横軸は年代で1960~1980年代は北部の(ランス)の範囲に収まる年が多かったが、近年(特に2000年以降)は「ボルドー」や「モンプリエ」のゾーンに入る年が増加しており、気候が温暖化していることがわかる。最近ユーグラン指数が特に高かったトップ3の年は、2018年、2022年、2003年。
Huglin Index = Σ [ { (日平均気温 - 10℃) + (日最高気温 - 10℃) } / 2 ] × k
Σ(シグマ): 生育期間(中通常、北半球では4月1日から9月30日)の日々の値の合計。
日平均気温: (その日の最高気温 + その日の最低気温) / 2。
日最高気温: その日の最高気温。
10℃: ブドウの生育が活発になるおおよその最低温度(生育限界温度)とされていて、これ以下の温度は計算に含めない。
k(日長補正係数): 高緯度地域ほど生育期間中の日長が長くなるため、緯度に応じて日照時間を補正するための係数。
このように、ルイナールは、単に素晴らしいワインを造るだけでなく、その背後にある科学的な知識、そして何よりもメゾンが培ってきた哲学を大切にしている。過去の経験から学び、常に新しい知識を吸収することで、未来へと続くワインの可能性を追求し続けている。