フランス、ブルゴーニュ地方のブーズロンで活動する「ドメーヌ・A.&P.ド・ヴィレーヌ」(Domaine Aubert et Pamela de Villaine)は1971年に創設され、今年50周年を迎える。2000年12月に、創業者オベール・ド・ヴィレーヌ氏を助けるためにドメーヌに入り、以来ドメーヌを管理している甥のピエール・ド・ブノワ氏に話しを聞いた。

画像: アリゴテのアイデンティティーを継承する「ドメーヌ・A.&P.ド・ヴィレーヌ」ピエール・ド・ブノワ氏インタビュー

「ドメーヌ・ド・ヴィレーヌ」の概要について教えてください。

「ドメーヌ・ド・ヴィレーヌ」は「ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ」の共同オーナー経営者である私の叔父オベールと叔母のパメラ・ド・ヴィレーヌが1971年にブーズロンの村で始めたものです。当初約8ヘクタールから始まり、最初のミレジムは73年です。
 現在36ヘクタールを耕作していますが、そのうち6ヘクタールは賃貸しているので、実際に自分たちで耕作している畑は30ヘクタールです。このうち、AOCブーズロンは8.99ヘクタールです。
ブーズロンの醸造所で現在、ブーズロン、ブルゴーニュ赤、白、メルキュレ、サントネ、そして、2014年に取り戻した賃貸畑であるサン・トーバン、これら六つのアペラシオンを醸造しています。一方、リュリーの畑は、2017年に購入し、現在修復中の醸造所で今後醸造することになります。

2年前に、建設間もないブーズロンの醸造所を訪問し、その美しさに大変感動しました。以前とワインの質が変わりましたか。

 新しい醸造所を建設してワイン造りがしやすくなったことは間違いありませんがそれ以上に、ワインにさまざまな力が備わったと思います。この醸造所は『わら一本の革命』の筆者で自然農法の哲学を説いた福岡正信氏の考えに基づいて建てたものです。彼は著作の中で、 “身振りの大切さ”、つまり同じ身体の動きをまねることの大切さを説いています。ブルゴーニュでは2000年前から栽培家が同じ仕事、身振りを繰り返してきました。ブドウを育て、摘み取り、その果実を醸造し、熟成する。その身振りをしっかりと習得することが何よりも大切でした。身振り、動き、それに伴う意識を伝授することにすべての力を注いできたのです。
 
 新しい醸造所は現在の技術を使って作られていますが、その醸造所に我々の身振りを伝えることができると考えています。そのための一つの方法として、醸造所を建設する際、セメントにワインのオリを入れて練り上げました。このセメントの壁を通して、天と地とワインはつながり、情報を交換することができると考えています。我々の身振り、仕事、人間の体の動きを通して、それぞれの樽は個性を持つようになるのです。
 現在修復しているリュリーの醸造所には、ブーズロンの醸造所から発酵中のワインを運び、壁にそれをかけます。こうして、ブーズロンの醸造所に自生する酵母をリュリーの醸造所にもたらすことができます。

画像: 2年前に、建設間もないブーズロンの醸造所を訪問し、その美しさに大変感動しました。以前とワインの質が変わりましたか。

ド・ヴィレーヌ夫妻はすでに完全に退職されたのですか。

 ドメーヌは私が2003年に跡を継ぎましたが、2人は今でも共同経営者です。全くのゼロから立ち上げたドメーヌ・ド・ヴィレーヌは、叔父たちが本当に心の拠り所としている大切なドメーヌだと思います。強調したいのは、このドメーヌの経営者は3人だけだという点です。

 一方、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティは叔父のオベールがド・ヴィレーヌ家を代表し、ペリンヌ・フェナルさんがルロワ家を代表し、その下に2家族の何人もの人が共同経営者として名を連ねています。これに対してドメーヌ・ド・ヴィレーヌは我々3人だけで、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティとは完全に切り離され、独立しています。会計、財政はもちろん、市場、輸出業者もすべて完璧に分かれています。これは大事な点です。

 すでに叔父と叔母は一線を退き退職していますが、彼らがブルゴーニュ・ワインの中で活動し、築いてきた視点、経験を無視することは大変愚かなことだと思います。今でも、叔父を招いて一緒に試飲しているし、ワインを楽しみながらブルゴーニュに関するさまざまな話しをします。正直にいうと、ブルゴーニュの話しを深くする時にはワインよりウイスキーを飲むことが多いですね。

AOCブーズロンの会長を務めていますが、ブーズロンの特徴を説明していただけますか。

 AOCブーズロンは大変小さなアペラシオンで、認可面積は約64ヘクタール。そのうちアリゴテが植えられている畑は約54ヘクタールです。

 AOCブーズロンは著しく変化してきました。最初の変化は、叔父と叔母が1971年にブーズロンに入植したことです。叔父はさまざまな調査を行い、フィロキセラ禍以前、ブルゴーニュではアリゴテがシャルドネやピノ・ノワール、あるいはサッシー、トゥルソー、ムロン、ソーヴィニヨンなどとともに広く植樹され、素晴らしい白として評価されていたことを確認しました。しかし、フィロキセラ以降、ブルゴーニュの作付け品種はピノ・ノワールとシャルドネに固定されてしまい、その他の品種は消滅してしまいました。以前はシャルドネと同格だったアリゴテも、表土の深い、恵まれない土壌に追いやられ、収穫量を追及するようになり、クレマンの原料として使われたり、クレーム・ド・カシスとブレンドしてキールを造るための原料として使われるようになってしまいました。

 私は以前、コート・ド・ニュイの「ドメーヌ・ボノー・デュ・マルトレ」でジャン・シャルル・ル・ボ-・ドゥ・ラ・モリニエール氏とアロース・コルトンの畑で作られた1964年のアリゴテを飲んだことがありますが、本当に並外れたものでした。叔父もそうしたアリゴテの潜在性を理解し、ブーズロンのほかの栽培家を説得してアペラシオン・ジェネリックだったアリゴテ・ブーズロンをAOCヴィラージュ・ブーズロンに格上げするようINAOに働きかけ、1997年に認可を得ることができました。

 しかし、残念ながら、その後ほとんどの人がブーズロンのワインの質に納得せず、難しい時期が続きました。アリゴテは一段質が劣り、酸が強く辛口で内容に欠けるワインだという従来の評価を変えることができなかったからです。そして、これがAOCヴィラージュ・ブーズロンの発展を大きく妨げてきました。

 畑の向き、土壌、植樹の仕方、そしてブーズロンのテロワールはヴィラージュクラスのレベルにありましたが、全体のワインの品質はそれとは少しズレていたのだと思います。しかし、少しずつ、新しい栽培家がブーズロンに入植するようになり、質は確実に向上してきました。

 これは、新しい栽培家の参入の時期と気候温暖化の進行が偶然一致したためだと思います。アリゴテは晩成品種で皮が厚く、熟すのに長い時間が掛かり、かつては10月に入ってから収穫を始めたので完熟するのが難しかったのです。しかし、温暖化により1カ月早い9月に収穫できるようになりました。そしてアリゴテが毎年熟すようになり、その個性が際立つようになってきました。

 この10年来収穫が急激に早まり、多くのワイン産地で、気候温暖化に対応できる品種を探し始めています。しかしブルゴーニュでは21世紀の気候変動に最適な白品種としてアリゴテがあります。

ドメーヌ・ド・ヴィレーヌが所有するアリゴテの畑について話してください。

 ドメーヌ・ド・ヴィレーヌは九つリューディ(区画)に17のアリゴテの畑を持っています。多くの畑はゴブレ剪定を採用しており、これによって、果実の付く位置が分散され、樹液の代謝が調整されるます。また、上部の葉が直射日光をうまく遮り、夏の猛暑で房が焼かれるのを避けることができます。近年の猛暑の被害を考えるとこれは大変有効な方法です。

 ブーズロンのブドウの質は、気候温暖化により確実によくなっています。丸みを持ち、内容があり、しなやかなワインは現代の消費者の嗜好に合うものになっています。しかし、今日、ブーズロンの大きな問題点は、ブーズロンに入植したエネルギー溢れる若い栽培家がアリゴテの個性の追求を止め、ブーズロンの特徴、アイデンティティーを失うことに危機感をもっていないことです。

 ブーズロンは基本的に酸が強い品種です。そして、皮が厚いので、少し苦味が感じられます。アリゴテを使ったブーズロンにシャルドネのようなフレッシュさや丸み、心地よさ、塩味などを追及すべきではありません。

 ドメーヌ・ド・ヴィレーヌのアリゴテの平均樹齢は約65年。最も古いアリゴテは樹齢115年です。私は、ブーズロン・アリゴテ・ドレを植物遺産として守り、伝えていきたいと考え、ソーヌ&ロワール県の農業会議所の援助を得てドメーヌの古い株の枝を使った苗作り(セレクション・マサル)を行っています。これよって、改植の際、フィロキセラ以前のアリゴテ・ドレの遺伝子を持つ苗を植えることができます。長い時間の中でブーズロンのテロワールに完璧に適応した株を使うことができるのは大変貴重なことです。

画像: ドメーヌ・ド・ヴィレーヌが所有するアリゴテの畑について話してください。

AOCブーズロンは、特にこの数年、アリゴテとともに国際的に注目されています。将来についてどう考えますか。

 国際的にアリゴテは少しずつ話題になっていますが、AOCブーズロンはそれほどではありません。AOCブーズロンでアリゴテが植えられているのは54ヘクタールのみ。そのうち、どのくらいがブルゴーニュ・アリゴテに降格されているか分かりませんが、一部が降格されて販売されていることは間違いなく、AOCブーズロンの生産面積は54ヘクタールよりかなり少ないでしょう。

 将来、プルミエ・クリュの創設を働きかけたいと思っていますが、今のところ私は別々に醸造した17の畑のワインをすべてブレンドして一つのキュヴェだけを販売しています。畑の面積に応じた容量のフードル(大樽)を使い、できるだけ各クリマの概念を表現したいと考えていますが、今のところ、それぞれのクリマを記載するよりも一つのキュヴェでブーズロンのアイデンティティーを表現する方向で仕事をしています。

 私は現在47歳。まだ多くの実現すべき課題があります。特に、それぞれのキュヴェの細部を突き詰め、できるだけテロワールの表現を正確なものにしたいと考えています。そのためには、これまでの常識や規範にとらわれず、自由な視点を常に持ち続け、19世紀の栽培家の耕作の自由、エスプリを取り戻すことが必要だと思っています。そして、今直面している気候温暖化に対応した、新しい耕作方法を見出す必要があります。そして、ドメーヌ・ド・ヴィレーヌが永続するよう、今7歳と5歳の子どもたちにブルゴーニュの物語を伝承したいと思っています。

※『ワイン王国』121号(2月5日発売)では、コート・シャロネーズの特集をしています。そちらも併せてご覧ください。

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