画像: 遠くからもよく目立つ独特の風貌を湛える「シャトー・クラーク」の醸造棟

遠くからもよく目立つ独特の風貌を湛える「シャトー・クラーク」の醸造棟

ボルドーのリストラック・メドック地区にある「シャトー・クラーク」が、2年間にわたる醸造棟の建設プロジェクトを完了し、このほど約200人の関係者を招待してオープニングセレモニーを開催した。

シャトー・クラークは1932年にクリュ・ブルジョワ・シュペリユール格付けされたリストラックの有力シャトーで、1973年にエドモンド・ド・ロスチャイルド男爵が購入した。エドモンド男爵は、1868年に「シャトー・ラフィット」を購入したジェームス・ド・ロスチャイルドのひ孫でロスチャイルド一族のパリ分家に連なる。エドモンド男爵は、先代からシャトー・ラフィットの経営を引き継ぎながら、同時に自身の小さなワイナリーを持ちたいという願望を抱き、探し当てたのがシャトー・クラークだ。

シャトー・クラークはボルドーでも最も古いブドウ園の一つで、11世紀にシトー派の修道士たちが最初にブドウ樹を植えたと言われる。かつて「ドメーヌ・グランジュ」と呼ばれていたが、この土地を1771年にアイルランド人のトビー・クラークが購入し、後に息子のリュック・トビー・クラークが「シャトー・クラーク」と名付けた。

画像: 新醸造棟と合わせて一新した庭園で行われたガーデンパーティー。アペリティフのためのシャンパーニュはもちろん「シャンパーニュ・バロン・ド・ロスチャイルド」だ。

新醸造棟と合わせて一新した庭園で行われたガーデンパーティー。アペリティフのためのシャンパーニュはもちろん「シャンパーニュ・バロン・ド・ロスチャイルド」だ。

エドモンド・ド・ロスチャイルド男爵がこのドメーヌを購入した際、ブドウ畑はかなり荒れ果てていた。再建のためにボルドー大学のエミール・ペイノー教授から助言を受け、後にジャック・ボワスノ教授からもサポートを受けて、ブドウ畑全体の再設計と植え替え、生産施設の建設など、大規模なプロジェクトに取り組んだ。彼のヴィジョンは、従兄弟たちが成功を収めていた「シャトー・ムートン・ロスチャイルド」とカリフォルニアのドメーヌを訪れて得た知識に基づいているという。

画像: 1980年代末に、リストラック・メドックの「シャトー・クラーク」は、メルロを主体としたブドウの栽培に切り替えた

1980年代末に、リストラック・メドックの「シャトー・クラーク」は、メルロを主体としたブドウの栽培に切り替えた

1974年から1978年まで、土壌改良、排水の改善、樹木の植え替えなどを行い、1978年に初めてのミレジムを市場に出した。その後、土壌の研究を進め、左岸に位置するにもかかわらず、ボルドー右岸の土壌に似た粘土質の土壌に注目し、1980年代末にメルロ中心の栽培に切り替えるという大胆な決定を下した。

これにより、2000年代初頭から、シャトー・クラークのブレンド割合は、現在の比率であるメルロ70%、カベルネ・ソーヴィニヨン30%になった。ここ数年来、将来の気候変動に備え、二つの専門機関に依頼し、区画ごとに最適なブドウ品種と台木を選ぶ作業を進めており、その結果に基づいて4.5ヘクタールにカベルネ・フランを新たに植えた。

シャトー・クラークは質の高い白ワイン『ル・メルル・ブラン』を生産していることでも知られている。最初のミレジムは1898年で、メドックで最初に白ワインを作ったシャトーの一つだ。現在、白ワインの畑は5ha。AOCボルドーで認可されているソーヴィニヨン・ブラン、ソーヴィニヨン・グリ、セミヨン、ミュスカデルの4品種が植えられている。

画像: 赤ワイン醸造棟に加えて、今回新たに白ワイン『メルル・ブラン』の専用醸造棟を建設した

赤ワイン醸造棟に加えて、今回新たに白ワイン『メルル・ブラン』の専用醸造棟を建設した

歴史的な赤ワインのシェ(醸造所)は新しい断熱材、新しい空調設備が導入され、外観も一新された。そして、シャトーの 50 区画に対応する 50~ 160 ヘクトリットルの 50 個の新しいステンレスタンクが設置された。加えて独特の雰囲気を持つ赤ワインの醸造棟に合わせて白ワイン、メルル・ブランのシェ、そして試飲ルームが新たに作られた。

曇りガラス装飾を施した扉を開け、試飲ルームに足を踏み入れると、3色のオーク材の寄木細工で覆われた8mの大きなテーブル、そして広いガラス窓の先に広大なブドウ園が広がっている。画家であり装飾家あるジャン・ニコラ・ブルミエと木工職人兼ガラス彫刻家であるジル・シャブリエの才能が光っている。また、装飾デザインに造詣が深いグループのオーナー、アリアンヌ・ド・ロスチャイルドさんの蔦の葉モチーフにしたデザインを基に作られた照明、そして凝ったサンドブラストの装飾が目を引く。

画像: 新たに作られた試飲ルームは凝った装飾デザインが施され、全面ガラス窓から広大なブドウ園を見渡すことができる

新たに作られた試飲ルームは凝った装飾デザインが施され、全面ガラス窓から広大なブドウ園を見渡すことができる

記念夕食会は火の壁、光の絨毯と題してデザインされたシェ(醸造所)の内部で行われ、まずは白ワイン『ル・メルル・ブラン・ド・シャトー・クラーク 2022年』が振舞われ、その後『シャトー・クラーク、バロン・エドモンド・ド・ロスチャイルド 2016年』『2010年』『2001年』『2005年』がサービスされた。

画像: 記念夕食会で挨拶する「グループ・バロン・ド・ロスチャイルド」のオーナー、アリアンヌ‧ド‧ロスチャイルドさん(左)。シャトー・クラークを含む、「グループ・バロン・ド・ロスチャイルド」のワイン部門の総責任者、ボリス‧ブレオ⽒(右)

記念夕食会で挨拶する「グループ・バロン・ド・ロスチャイルド」のオーナー、アリアンヌ‧ド‧ロスチャイルドさん(左)。シャトー・クラークを含む、「グループ・バロン・ド・ロスチャイルド」のワイン部門の総責任者、ボリス‧ブレオ⽒(右)

ル・メルル・ブランは平均生産量1万5000本。ソーヴィニヨン・ブラン70%、ソーヴィニヨン・グリ10%、セミヨン10%、ミュスカデル10%のブレンド。50%新樽、50%ステンレスタンクを使って発酵後、オリの上で6か月熟成。ペサック・レオニャンとは異なる、新鮮でアロマと味わいが長く持続する、個性的な白ワインだ。

画像: 夕食会では二人のダンサーが華麗なモダン舞踏を披露し、シャトー・クラークの現代性をアピールした。「グループ・エドモンド・ド・ロスチャイルド」の次代を担う、オリヴィア、エヴ姉妹

夕食会では二人のダンサーが華麗なモダン舞踏を披露し、シャトー・クラークの現代性をアピールした。「グループ・エドモンド・ド・ロスチャイルド」の次代を担う、オリヴィア、エヴ姉妹

シャトー・クラークは平均生産量23万本。70%メルロ、30%カベルネ・ソーヴィニヨン。コンクリートタンク、ステンレスタンクを使って発酵後、新樽2/3、一年使った樽1/3で16か月間熟成。料理に合わせてサービスされた4本の中ではフレッシュで良く熟した果実味が溶け込んだ2001年が素晴らしく、印象に残った。2010年はやや軽く、エレガントで、シャトー・クラークの高貴さがよく表現されている。

画像: 白ワイン『ル・メルル・ブラン・ド・シャトー・クラーク』と『シャトー・クラーク』。チーズはフランス最高品質の自社製の「ブリー・ド ・モー・フェルミエAOP」が供された

白ワイン『ル・メルル・ブラン・ド・シャトー・クラーク』と『シャトー・クラーク』。チーズはフランス最高品質の自社製の「ブリー・ド ・モー・フェルミエAOP」が供された

画像1: リストラック・メドック「シャトー・クラーク」、醸造棟落成記念夕食会を開催

1997年に71歳で亡くなったエドモンド・ド・ロスチャイルド氏は、自身のライフワークとして力を注いだシャトー・クラークの地に埋葬された。シャトーは一人息子のバンジャマン氏と夫人のアリアンヌさんが引き継ぎ、コンサルタントとしてミッシェル・ロラン氏を迎え、新しいワインのスタイルを追求して国際的な評価をさらに高めた。

しかし、2021年1月にバンジャマン・ド・ロスチャイルド氏が心臓発作により57歳で急逝したため、その後を、奥さんのアリアンヌ・ド・ロスチャイルドさんが継承している。

画像: アリアンヌ・ド・ロスチャイルドさんと2021年に急逝したバンジャマン・ド・ロスチャイルド氏(右)

アリアンヌ・ド・ロスチャイルドさんと2021年に急逝したバンジャマン・ド・ロスチャイルド氏(右)

シャトー・クラークなどのワイン部門は、ガストロノミー製品の製造、高級観光施設、レストランの運営など「グループ・エドモンド・デュ・ロスチャイルド」の非金融部門を網羅した「エドモンド・デュ・ロスチャイルド・エリタージュ」の傘下にある。

ワイン部⾨に含まれるのは1973年にエドモンド‧ド‧ロスチャイルド男爵が購⼊した「シャトー‧クラーク(リストラック、55ha)」、「シャトー‧マルメゾン(ムーリス、33ha)」そして、2003年にバンジャマン・ド・ロスチャイルド氏が取得した「シャトー‧デ‧ロレ(ピュイスガン‧サンテミリオン、40ha)」、「シャトー‧ド‧マランジャン(モンターニュ‧サンテミリオン11ha)」などボルドーのシャトーに加え、1997年にアントン‧ルパートとエドモンド‧ド‧ロスチャイルド氏が共同で購⼊した南アの「ルパート&ロスチャイルド‧ヴィニュロン」、1999年にロラン‧ダッソーと共同購⼊したアルゼンチン、メンドーサの「フレシャス‧デ‧ロス‧アンデス(140ha)」、2012年に購⼊したニュージーランドの「リマペレ(24ha)」、2013年にベガシシリアと折半で購⼊したリオハ、アルタの「マカン(102ha)」など、所有するブドウ園は合計で500ha、⽣産本数は350万に達する。これらのワイン部⾨は2019年からボリス‧ブレオ⽒が統括している。スティルワインに加えて、2005年にロスチャイルドの三つの分家(ラフィット、ムートン、クラーク)が一堂に会して設立した「シャンパーニュ・バロン・ド・ロスチャイルド」がある。

画像: アリアンヌ・ド・ロチリルドさん(中央)と4人の娘。左からノエミさん、オリヴィアさん、アリスさん、エヴさん

アリアンヌ・ド・ロチリルドさん(中央)と4人の娘。左からノエミさん、オリヴィアさん、アリスさん、エヴさん

ロスチャイルド家の歴史は18世紀にフランクフルトのユダヤ⼈ゲットーで古銭商として働いていたメイヤー‧アムシェル‧ロスチャイルドから始まる。その後、⽗親の意思を継いだ5⼈の息⼦がフランクフルト(AMSCHEL)、ロンドン(NATHAN)、ウイーン(SALOMON)、ナポリ(CARL)、パリ(AMES)で銀⾏業を⽴ち上げ成功した。これが、良く知られたロスチャイルド家の5本の⽮の紋章の基になっている。

ワインの世界ではパリ分家のジェームスが1868年にシャトー‧ラフィットを購⼊、そしてロンドン分家の3男ナタニエルが1853年にシャトー‧ブランヌ‧ムトン(後のシャトー‧ムートン‧ロスチャイルド)を購⼊した。二つのシャトーは何れもポイヤックの1級に格付けされ、ワインの世界でロスチャイルドファミリーの名を不滅のものにした。1973年に購入したシャトー‧クラークをエドモンド‧ド‧ロスチャイルド氏はパリ分家の3⼈息⼦の末っ⼦のエドモンドに連なる家系だ(家系図参照)。

画像: ロスチャイルド家の5本の⽮の紋章の基となった、フランクフルト(AMSCHEL)、ロンドン(NATHAN)、ウイーン(SALOMON)、ナポリ(CARL)、パリ(AMES) の5分家の家系図

ロスチャイルド家の5本の⽮の紋章の基となった、フランクフルト(AMSCHEL)、ロンドン(NATHAN)、ウイーン(SALOMON)、ナポリ(CARL)、パリ(AMES) の5分家の家系図

シャトー‧ラフィット‧ロスチャイルドやシャトー‧ムートン‧ロスチャイルドに⽐べるとシャトー‧クラークが話題になることは少ないかもしれないが、シャトー‧クラークを所有するエドモンド‧ロスチャイルド‧グループは銀⾏業務を主体とする資産規模が1580億スイスフラン(約26兆円)、従業員2500⼈と巨⼤だ。

画像: 「エドモンド・ド・ロスチャイルド・エリタージュ」傘下の「シャトー‧ド‧マランジャン(モンターニュ‧サンテミリオン)」はアンフォラを使って醸造を行っている。現代アートに造詣の深いアリアンヌ・ド・ロスチャイルドさんのアイディアに基づいて、フランスの現代アーティス、フロリアン&ミカエル・キストルヴェール兄弟が、シャトー‧ド‧マランジャンのシェにステンドグラスの光を思わせる光の彫刻モニュメント「ヴォルテックス」を創作した

「エドモンド・ド・ロスチャイルド・エリタージュ」傘下の「シャトー‧ド‧マランジャン(モンターニュ‧サンテミリオン)」はアンフォラを使って醸造を行っている。現代アートに造詣の深いアリアンヌ・ド・ロスチャイルドさんのアイディアに基づいて、フランスの現代アーティス、フロリアン&ミカエル・キストルヴェール兄弟が、シャトー‧ド‧マランジャンのシェにステンドグラスの光を思わせる光の彫刻モニュメント「ヴォルテックス」を創作した

画像: シャトー・クラークの製造部門の責任者ファブリス・ダルマイヤック氏(左)とアリアンヌ・ド・ロスチャイルドさん(右)。ロスチャイルド家の象徴、5本の矢のオブジェ

シャトー・クラークの製造部門の責任者ファブリス・ダルマイヤック氏(左)とアリアンヌ・ド・ロスチャイルドさん(右)。ロスチャイルド家の象徴、5本の矢のオブジェ

シャトー・クラークの製造部門の責任者ファブリス・ダルマイヤック氏は大学の医学部に進学したが、夏休みにワインセラーで働いたことがきっかけでワインに興味を持ちボルドー大学で醸造学のディプロムを取得し、メドックのシャトーで働き始めた。その後、ドメーヌ・ジャン・ミッシェル・カーズが所有するラングドック地方のオスタル・カーズのテクニカル・ディのレクターを13年間務め、2016年8月にシャトー・クラークに着任した。

画像2: リストラック・メドック「シャトー・クラーク」、醸造棟落成記念夕食会を開催

アリアンヌ・ド・ロスチャイルド夫人は、1965年、中央アメリカのサンサルバドルの生まれ。父親はドイツ人、母親はアルザス出身のフランス人で、父親の転勤に伴ってラテンアメリカ、アフリカで過ごした。このため、フランス語、英語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語を流暢に話す。フランスのエリート校、パリ政治学院で学んだ後、米国の大学でMBAを取得。ニューヨークのソシエテ・ジェネラルの外国為替トレーダーを皮切りに、金融部で働いてきた。1999年1月、エドモンド・ド・ロスチャイルド氏の息子でグループ・エドモンド・ド・ロスチャイルドの相続人であるバンジャマン・ド・ロスチャイルド氏と結婚し、4人の娘をもうけた。2021年にバンジャマン・ド・ロスチャイルド氏が急死後グループを継承。2023年3月にグループ・エドモンド・ド・ロスチャイルドのCEOに就任した。長い歴史の中で、すべてのロスチャイルド家が管理する金融機関のトップに女性が就くのは初めて。フランスの経済雑誌によると、推定家族財産は50億ユーロ(約7500億円)。

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